社長がいなくても回る工場は、
「なぜやるのか」が腑に落ちている
社長がいないと止まる工場は、
「やれと言われているから」やっている
「なんだこの汚い現場は!」
ある日、事前連絡もなく、取引先を管理する担当者が突然やってきました。
私はちょうど来客対応中だったのですが、そのようなことはお構いなし。その担当者はそのまま工場の中に入っていき、現場をウロウロ見てまわり、作業中の社員の前で大声を出したそうです。それが先ほどのセリフです。
当時、工場ではレイアウト変更や設備のメンテナンスの真っ最中でした。
確かに片付いているか、キレイになっているかと聞かれればそうではない状況です。
それは整理整頓清掃できていないということとは違うのではないかと思いましたが、逆鱗に触れたのでしょう。社員が作業している目の前での怒声でした。
このままでは、社員は仕事にならないと判断し、私は担当者を会議室に案内して二人で話をすることにしました。
現場の状況を見られた感想について延々と話をされ、ひと呼吸間があった時、私はあえてへりくだって聞いてみました。
「どうすれば改善できるか教えていただけませんか」
出てきた答えは、
毎週数人が集まって活動する、
できていない箇所を写真に撮って貼り出す、
改善できたらまた写真を貼る
———そういう、どこかで聞いたことのあるような話ばかりでした。
ひととおり聞いてから、私はこう聞きました。
「その活動の費用は、どの部署の経費として予算を組まれるんですか?
製造部門ですか?どれくらいの予算を確保されるんですか?」
返ってきた言葉はこうでした。
「お金がかかるとかそういう問題じゃないんじゃない?いい工場にする気はないの?」
私はそのとき、ある種の確信を持ちました。
5Sを押し付ける側は、コストを負わない
5Sを実行するというのは、単に整理、整頓、清掃、清潔、躾を実行するという簡単な話ではありません。
安全な作業環境になるように、
クレーム発生をなくすため、
工数削減のため、
などなど、5つのワードを単純に読み取っただけでは足りない結果を要求されています。
例えば、安全な作業環境を整えるには、お金がかかります。単に通路に物を置かない、床が油で滑らないよう掃除する、などすぐにできるようなことだけで終わる活動とは解釈されていません。もっと小さい問題が解決したら、次の大きい問題解決に移っていきます。
そうなれば、
すぐに取り出せるように道具の整理棚に10万円、
安全な動線を作るために床の修繕に50万円、
作業者の移動時間工数削減のために設備の移設工事に100万円
——これくらいのことをしなければならなくなってきます。ただの掃除や片付けでは何の改善効果もありません。
こういった費用は全て、取引先が決めた
単価 × 生産数 → 売上
の中から出すしかありません。
そして、経営的に優先的に経費に当てられるお金は、掃除や片付けであるはずがありません。
「お金の問題じゃない」と言える人は、そのコストを負わない立場にいる人です。
5Sを指導する側、チェックする側、評価する側——そこに「経営」はありません。あるのは「基準」だけです。
私がそれ以来ずっと気になっているのは、5Sの問題はモチベーションでも定着率でもなく、それを外から押し付ける構造そのものにあるのではないか、ということです。
10年間、コンサルタントが通い続けた工場
この体験より少し後に、5S活動で有名な工場の見学に参加しました。
工場長の説明の中で、こんな言葉がありました。「5Sコンサルタントの〇〇さんに、10年前からずっとお世話になっています」と。
会場では感心する声が聞こえました。10年も続けられているのはすごい、と。
私はそうは思いませんでした。
10年間、コンサルタントが来なければ整理・整頓・清掃が維持できない工場、ということではないか。
このコンサルタントは、10年間もこの工場に通って、コンサルタントがいなくてもいい状態にできないの?
自分の工場にも5Sコンサルタントを呼んだ経験があります。
その際に言われた言葉があります。
「5Sが定着しないのは経営者のせい」
コンサルタントが必要であり続ける構造と、できなければ経営者のせいになる構造が、同時に成立している。これはビジネスとして見れば合理的かもしれませんが、工場経営者としては受け入れがたいものがありました。
「躾」という言葉の正体
整理・整頓・清掃・清潔——ここまでは必要です。
問題は最後の「躾」です。
躾とは、子どもやペットに施すものです。社会人になった大人が「躾」をされて、気分がいいはずがありません。また、ベテラン社員に躾をする気にもなりません。躾レベルのことであれば、「大人なんだからそれくらいわかれよ」と言いたいくらいです。
躾を『社員教育』という意味で使うのは、無理してSのつく言葉を探した、都合のいい言葉遊びにすぎません。社員はその違和感を、ちゃんと感じています。
そして私はここに、5Sが社員に嫌がられ続ける根本的な理由があると思っています。
いくら「効果が出ればモチベーションになる」と言っても、「躾」という概念を組み込んだ活動に、自分から前向きに向き合える大人はいないのではないでしょうか。
私の前職は医療関係でしたが、「5S」という言葉はありませんでした。
採血台が散らかっていれば事故が起きるかもしれない、
ベッドが汚れていれば患者さんの生活環境に悪影響、
ちゃんと表示されていなければ点滴を間違えるかもしれない、
だから当然のように整理整頓清掃は行われていたのでしょう。
誰かに「躾」られたからではなく、そこで働く人、一般的な常識、その業界内の常識などなど「普通に考えれば」という理由が、腑に落ちていたからではないでしょうか。
そう考えると、製造業における一般的な常識、そこで働く人の一般的な常識、それに疑問を持たざるを得ませんでした。
社員の顔色を変えた日
ある日、私は全社員を集めてこう言いました。
「この工場では『5S』という言葉を使いません。今までやっていた5S活動も終了します。もうやらなくてもいいです。代わりに『掃除と片付けと問題解決』をやります」
その瞬間、社員の暗い顔がパッと晴れました。今でもはっきり覚えています。
やることは同じです。
でも「5S」という言葉が消えた途端、外から評価される活動ではなく、自分たちの仕事として考え始める空気が生まれたのではないでしょうか。
5Sに限らず、カイゼン、OJT、目標管理——業界の「常識」として外から持ち込まれる手法は、どこかで必ず社員の顔を曇らせます。
問題は手法ではなく、社員がその理由を自分の言葉で腑に落としているかどうかです。
あなたの工場では、社員が「なぜやるのか」を自分の言葉で説明できますか?
納得のいかないままやるだけになっていませんか?



