社員K「そんなに言うんなら自分でやってみろ!」
今日は、そんな言葉を投げつけられたM係長が、自分の対応にどんな問題があったのか、と自分のところに相談に来た、というやり取りを教えてくれた社長とのはなしです。
みなさんはこのやり取りを聞いてどう思われるでしょうか?
「そんなに言うんなら自分でやってみろ!」っていう言葉は、テレビを見ているとコメンテーターや評論家的な人に向けて、よく言いたくなる言葉ですね。
自分は関与しているわけでもないのに、あたかも自分の言うとおりにやれば簡単に済む話のように言い、でもやるのはあなたですよと無責任な発言。
コメンテーターや評論家は、そのようなことを言われない様に厳しいことを言えなくなっていて、聞いている人たちの大半が共感する様な当たり障りのない様なコメントばかりになっている様に思います。この言葉はそれだけとても厳しい言葉という証拠になっているのではないでしょうか。
コメンテーターや評論家と世の中の視聴者との関係は、普段はリアルで接触することは一切ありませんので、時間が経過すれば何事もなかったかの様になっていき、自分の日常に影響が出ることはそれほどないと思います。
一方で経営の現場では、自分では出来もしないのに人に押し付けてばっかり、口ばっかりの上司や指導者、現場で作業をしない役員や社長が言われやすい対象です。
部下にこんなことを言われたからと、しょんぼりしてしまう様なヘタレな管理職なら、すぐに役職を辞するべきですが、普段から熱量の高いM係長の対応は次の様でした。
M係長「文句があるんなら、自分の仕事をキッチリやってから言って来い!」
と、顔を真っ赤にして大きな声で言い切ったそうです。
M係長も、まあ強気で出たもんだなーと思いましたが・・・。
社員KとM係長との間のやり取りですが、この2者は毎日同じ会社にいます。この会社にいる間はずっとお互いに顔を合わせて仕事をしなければいけない関係性なのですが、こんなことを言ってしまっては、この先仕事がやりにくくなるのではないかと心配しました。
しかし、もうお互い言ってしまったので、どうにかしなければいけません。
M係長の対応は、この言葉だけを切り取るとパワハラの問題になってしまいそうですが、そういうことを話し始めると今回の話題から外れてしまいますので、一旦横に置いておきます。また、M係長がこの様なことを言われたことを、社員Kの仕事の能力の無さやM係長の指導力の無さ、だけで話を終わらせることも何も解決しません。少し深掘りして考えたいと思います。
冒頭の言葉を言わなければならなくなった社員Kのそこに至るまでの状況を、少し考えてみましょう。
一般的に、社員と管理職との普段のやりとりは、管理職は、会社の経営方針や取引先との交渉の結果などの情報から、生産計画の作成や目標設定をして、社員はそれを実現するために実行する立場です。
今回の2者のやりとりは、社員Kは自分はそれが正解だと思って実行してM係長に報告をしたのだけれど、M係長は自分が指示をしたことはそういうことではない、と社員Kがやったことを間違いだとして指摘をしている状況です。
この2者、正しいのはどちらでしょうか?
間違った対応をしているのは、どちらでしょうか?
個人的には、どちらも自分が正しいと思っていることを実行しているので、どちらも正しい行動だったのではないかと思います。社員Kが受けたM係長からの指示を、自分なりにこれが正解という基準を作って、それを実行し切っています。仕事は最後まで行われています。
一方でM係長は、これまで自分が管理職間で話し合った情報から判断すると、社員が出してきた仕事の結果は、その基準を満たしていないと判断したので、それではダメ、とハッキリと突き返しているので、管理職としての仕事は実行されていると考えます。
お互い最後まで仕事をしているのに、不幸な結果になってしまった原因はなんでしょうか?
それは、社員と上司との間で「仕事の完了型」の共有ができていないためだと考えられます。
社員がイメージする「仕事の完了型」は、上司からの情報を「社員基準で」解釈し作り上げています。上司がイメージする「仕事の完了型」は、現場を管理、指示する側の立場で情報を集め、「管理職基準で」解釈し作り上げています。
この基準の違いで仕事の完了型は変わってしまうのです。
例えば、上司が生産ラインAの設備の操作マニュアルの作成を指示したとしましょう。※ 注:冒頭の社員KとM係長のやり取りではありません
上司は、どの様な情報に基づいてマニュアル作成の指示を出したのでしょうか?
「これから生産ラインAの生産数が増えるため、この設備が使える社員をもっと増やさなければいけない」
「生産ラインAの設備は、難易度も高くないので、設備に触れたことのない社員でもわかるマニュアルが必要」
「設備を操作した経験のない作業者は、どんな問題を起こすかわからないので、細かい注意点まで漏れのないマニュアルが必要」
「全社的にマニュアルの電子化を進めているので、タブレットでも見ることができる様に」
「生産数も増えて納期も厳しいため、生産対応の優先順は高く設定して」
この様な指示をすると、社員はどの様なものを作らないといけないと思うでしょうか?
その設備は今までずっと旧版のマニュアルで作業指導できていたのですが、改めて指示が出されたのです。社員はその指示をどの様に思うでしょうか?
「別にこの作業手順で問題も起きていないし」
「現状の作業者であればマニュアルなどなくても作業できる様になっているし」
「ただ書式が古いフォーマットのままになっているものは更新しようという動きもあるのでそこは確認しよう」
「生産数も増えていて稼働時間や人の確保は必要だし、残業も制限かかっているし、最小限の作業で終わらせよう」
この様な状況でマニュアルを作成すると、どの様なものになるでしょうか?
上司に言われるままにマニュアルを作成すれば、相当丁寧に時間をかけて作る必要がありそうです。しかし、現場の社員が作成すれば旧版のマニュアルとそれほど差のないマニュアルが出来上がるでしょう。
これは、指示をした上司からの情報に、生産現場の情報を加えて判断基準を作っているため、現場の解釈が異なってしまっているのです。
みなさんはこの社員の対応をどの様に思いますか?
上司の指示の意図を理解せず、自分で勝手に判断してマニュアルを作成していると思われますか?
私は、この社員の対応をどう思うかは、現場を社員に任せるためには、とても重要なことだと考えています。
私基準では、この社員はとても能力が高いかもしれません。なぜなら、上司からの指示と実際の現場の環境を総合的に判断して、自ら判断を下して最後まで実行したからです。
これを、時間がないのでそんなことできないとやる前から言ったり、言われた通りにマニュアルを作成したら生産時間が確保できず納期遅れを出してしまったり、話が終わらないからとその場ではやりますと言っておいて、どうせできないからと放置したりする様な社員なら、この先とても仕事は任せられません。
一方でM係長の現場への指示はどうでしょうか?管理職間でのやり取りは明確に部下に伝えています。しかし、この指示でどのようなマニュアルをイメージしていたでしょうか?
重要なことは、社員にとっての最優先事項は、「生産」です。
マニュアルを作成するために、生産数が増えている状況でその時間確保が必要です。この時間確保は、現場の社員だけで融通をつけることには限界があります。それを実行できる権限を持っているのは上司です。
したがって、この例で社員と上司がやらなければならなかったのは、マニュアルの完成型のすり合わせをし、社員はそれにはこれだけの時間が必要だと伝え、上司はその時間確保のために生産計画や人員配置などを周辺と検討することです。
普段から、「上司は部下に指示をするのが仕事」「部下は上司に言われた通りに作業するのが仕事」というやり方をしていると、仕事の完成形を共有するために、社員と上司がそれぞれの意見のすり合わせをするようなやり取りは絶対に生まれません。
冒頭の2者は、このすり合わせの作業が不十分だったため、仕事完了後にケチをつけられても、「最初から言えよ」と言いたくなる気持ちはよくわかります。また、一時の案件で「そんなに言うんなら自分でやってみろ!」と言われたのではなく、日頃からのコミュニケーションの結果からフラストレーションが積もりに積もって爆発した様です。例のマニュアル作成のようなやり取りが度々起こる様であれば仕方がない結末だったのかもしれません。
この様な時には、社長が間に入るしかありませんね。
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