
しばらく前の話ですが、ある社長との雑談の中でこのような話題になりました。
「うちの会社は、なかなか会議が機能しないんだ。会議で決めたはずなのに、現場が何度も同じことを聞いてくる。ひどい時は、現場が『この方がいいんじゃないでしょうか』と提案してきたので、『よし来た!』と思い前のめりで相談に乗ったつもりだったんだけど、結局実行さえされてなかったよ・・・」
社員とのコミュニケーションはとても大事にしている社長です。毎日現場に出ては、全員の顔色を確認して、おかしいと思った社員には一言声をかけるようにしていました。
その努力があってか、若い社員の離職率は低く、早期戦力化に力を入れておられました。
しかし、そんな社長でも、会議はうまくいっていないようでした。
なぜこんなことが起きるのでしょうか。
普段はどんな会議をしているかといえば、
「今日までにこれだけ完了しています」「○○さんの急な欠勤のため、△△の生産ラインは急遽人員配置を変更しました」など、生産実績の報告
「○号機は××のトラブルにより1時間停止しました」「トラブルの原因は・・・」など、設備の稼働状況の報告
「製品Aでクレーム情報がありました。状況は○○のようです。」と現時点での状況説明
このような報告が管理者によりしっかり行われるようです。すべての報告を聞き終わると1時間くらいかかるようです。
毎週3回、1時間の報告会議、これを毎週続けるのは並大抵のことではありません。
社長自身も、これをこれからもずっと続けるのかと思うと、ゾッとすると言っています。しかし、このようなことでも続けなければ報告を聞く機会もなくなってしまう。と続けるつもりではおられます。
しかし、意味のある会議かどうか以前に、継続できそうにない会議は、現場が突発的に忙しくなって会議に出れないとか、社長の都合がつかないから翌週にしてとか、変更していくうちに次第にフェードアウトしていきます。
一般的に行われる会議の実態
コミュニケーションを大事にしている社長ですから、現場の声を聴いてあげなければいけないという真面目の虫が、この状況を耐えなければならないと思わせているのでしょう。
しかしこの会議の内容では、継続性どころか、1回の会議の内容も十分とは言えません。むしろ会議で聞く必要がないとも言えます。
その理由は、すべて事後報告で、聞いて何か言いたいことがあったとしても、言ったところで何も変えることができないからです。
さらに、この内容は数字を見ればわかることがほとんどです。実際に管理職はPCの数字を見ながら朗読をしています。会議という形の口伝えでしかこの情報が得られないことにも問題があります。デジタル化が進む時代に、数字を口頭で朗読する会議に意味があるでしょうか。
また、「会議は決める場所」と言われるのをよく聞きます。
正しいとは思いますが、やり方を間違えるととても悪い方向に進んで行ってしまう恐れがあるのです。
現場から「社長、○○の件、この後どのようにしましょうか?」
特に問題のない現場からの相談に見えます。しかし、この質問に対する答えは、社長が具体的に指示を出さなければ会話として成立しません。
次のような相談だった場合はどうでしょうか。
現場から「社長、○○の件、この後△△のようにしようと思っていますがどうでしょうか?」
△△のようにするということを決めているのに、やっぱり社長から指示をもらわなければ実行できない状態なのです。
これでは、いつまで経っても社長がいなければ何も進みません。
そして、この会議の現場と社長とのやり取りは、適切なコミュニケーションが取られていると言えるでしょうか?
コミュニケーションが成立する条件
例えば、友人と居酒屋へ飲みに行って、楽しく会話ができるのはなぜでしょうか?
誰かと飲みに行ったとして、コミュニケーションがうまくとれていなければ飲みながら楽しく会話することもできません。
楽しくではなくても、会話のキャッチボールが成立する前提条件として、様々な判断材料がお互い似通っているから、いろいろな話をしたときに、「それはそうだね」「それはおかしいよね」って同調できるのではないでしょうか。
そして、これがコミュニケーションが成立している状態と言えます。
逆に、判断基準に大きな違いがあれば、ケンカに発展してしまうかもしれません。仲の良い友人同士であれば、この違いを受け入れ新しいコミュニケーションに発展していくことはあるでしょう。しかし会社ではどうでしょうか。
一方で、会議ではどうでしょうか。
会議では、上司と部下、経営者と社員という関係性の下でコミュニケーションを行わなければならないという前提があります。 新入社員が社長と同じレベル感で会議で会話することはなかなか難しいでしょう。
しかし会社は、経営者も社員も、上司も部下も同じ方向に向かっている人の集まりです。例えば生産計画を必ず達成する、クレームを出さないなどの目標は似通っているはずです。
この目標を達成するには、全員が同じ判断基準を持つ必要があります。
そうでなければ、話の節々で方向性にずれが生じ修正することが必要になります。それは判断基準が異なるために、話の解釈が異なってしまい会議が混乱します。
会議が混乱すればまだいいのですが、この解釈のずれを感じないまま、社長から現場に指示を出すとどういうことになるでしょうか。
会議で決まったことを誤解釈したまま管理職は現場に出て行き、現場の作業者に対してちょっとずれた報告や指示をしてしまう。その報告指示を受けた社員は、さらに自分の都合の良い解釈をして作業を進めてしまう。それが1人2人、5人10人と広がっていけば、その乖離はさらに広がり、結局会議で決めた通りのことが実行されない、社長にいちいち確認しないとわからない、という状況を作ってしまうのです。
判断基準設定の押し付け合い
「報連相」が大事ということは今も言われていますでしょうか。最近では「昭和のサラリーマン」の言葉のようになってきているように思いますが、そもそも、この言葉が出てきたのは、営業現場での情報共有を促進するために生まれたと聞いています。
IT化が始まるよりさらに前の話のようです。コミュニケーションツールやBIツールなどのように情報を共有する便利なツールがありません。TELとFAXくらいではないでしょうか。
そのような中では、一人一人が言葉を発しなければ相手は何もわかりません。そのために発展してきたものではないかと思いますが、現代の報連相はどう解釈されているのでしょうか。
これはいろいろな企業の上司と部下、経営者と社員の関係性から以下のようなことが考えられます。
報告:報告したら私の仕事は終わり
連絡:伝えたからあとはみなさんでお願いします
相談:答えをもらいに行く
どんな解釈をしているかと問われればこんな答え方はしないと思いますが、現実にはこのようなことが行われていないでしょうか。
部下からの行動がこのようなものだと、経営者も上司も、「それくらい自分で考えろ」と言いたくはなるでしょう。そして、そのまま「なぜそう判断するのか」という判断基準を示さない結果、「判断して」とお願いする社員と、「自分で考えろ」という上司や経営者との間で、判断基準設定の押し付け合いが行われているように見えてなりません。
このような状態では、結局最終的に責任を負わなければならない社長や上司が、細かく指導するという状況になってしまいます。
これにより、永遠に自分で判断することのできない管理職、社員が育って行ってしまうのです。
その人たちの下での会議は、それは何も決まらない会議となってしまうでしょう。
判断基準はどう伝えるか
では、いつ、どうやってその判断基準を伝えるのでしょうか。
それは会議中がとても最適です。
経営理念や方針、価値基準などを漠然と示していても、社員にはなかなか伝わっていません。何にでも当てはまるような言葉でもありますので、具体的にどんなことをするのかまで考えが及ぶことはなかなかありません。
しかし会議という場面は、この漠然とした判断基準を、実際の業務に照らして適応していく作業を行うには最適の場面です。
過去の実績をいくら確認しても、将来何が変わるのか不明な会議をするよりは、今後どんな判断をすれば現場を回していけるのかという判断基準を共有する場になれば、社長がいなければ現場が回らないという状況から少し抜け出すことができるのではないでしょうか。
あなたの会社では、現場に任せられる会議ができていますか?
判断基準を示さないまま、具体的な作業指示だけをしていませんか?

