「うちの理念は◯◯です」朝礼で聞いた社員の本音
ある会社で、全社員が食堂に集まって行われる、月に1度の全体ミーティングでの話です。このミーティングでは、社長からの方針説明、今期の業績と来季の目標、今後の取り組み方針などの説明があり、工場長から現場で行う具体的な取り組み内容について説明がありました。
ミーティングの最後には、社長から「質問がありませんかー?」という事務的な問いに対し、社員からも、事務的な無言という返答があり、ミーティングは終了しました。
解散後は、集合の2倍速で社員は食堂から出て行き、最後に社長ひとり、食堂に取り残されます。
社員はすぐに現場に戻り生産を再開するというわけでもなく、数人集まってなにやらぶつぶつと聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで会話を始めました。
社員A「また出来もしない取り組みを言い始めましたね」
社員B「いつもどおり生産していればいいよ」
社員A「賞与あるんですかね?売上上がってるって言ってましたけど」
社員B「円安で材料費が上がったとか、運送代が上がったとか、出さない理由聞いただろ」
社員A「それもいつも通りですね・・・」
結局この会社では、社長が旗を振った年度中の取り組みは社員によって行われることはなく、入ってきた受注をこなすだけの一年を、毎年繰り返しているのでした。
そして、社員は誰ひとり昇給も賞与もなく、社長の車だけは新しくなっている。
そんな状況に嫌気がさしたのか、今年もまたひとり、社員が去って行きました。
何のためにこの会社に来ているのか
社長は、この会社の業績を良くしなければ、社員の給与を上げられない、賞与も出せないと思い、社長自ら現場に入って、自分が掲げた今期の目標や今期の重要な取り組みに率先して取り組みます。社員にも一つ一つ指示を出し、その取り組みを進めようとします。しかし、社員はなかなか思った通りには動いてくれません。
ある社員は「この生産ライン今月忙しいので」と言い、別の社員は「今生産中の製品、2日後が納期なので急いでいます」と言い、社長もそれを言われてしまってはそれ以上頼めません。結局、自分がやらなければならず、しかし現場の細かい部分はどうしても社員がやらなければ進まない部分もあるのですが、頼んでも後回しにされてしまうため、取り組みはフェードアウトしていくのです。
社長「あんなに言ったのに、取り組もうともしない。一体何のために会社に来ているんだ。」「給与上げて欲しいというんなら、まずは自分たちが動け!」「改善しないと賞与の原資もないだろう!」
社長の言い分もわからないではありませんが、全体ミーティング後の社員のヒソヒソ話を聞いている私は、「社長、それは順番が違いますよ」と伝えたのです。
社員のみなさんは、この会社のために働きに来ているのではありません。社員は一人一人生活があります。それぞれ全く違う目的を持って、この会社に来ています。
結婚資金を貯めたい社員、ライブや旅行に行くための費用を貯めたい社員、家のローンの返済、子供の教育費、病気の治療代、老後の蓄え・・・などなど、目的はそれぞれです。
社員のみなさんは、自分がやりたいことややらなければいけないことを実現するためにはお金が必要です。お金を貯めるためには働かなければいけません。だからこの会社に来ているんです。
しかし、この会社でなければならない理由がなければ、他の会社でもいいのですが、縁あってたまたまこの会社に来てくれているんです。
なぜ社長の理念は、社員に響かないのか
社員のみなさんは、それぞれ目的があってこの会社で働いています。しかし、多くの場合、その目標を達成するには、この会社でなくてもいいんです。家のローンを返すために働く。その働く場所が、この会社である必要は何でしょうか。
社長は経営理念を掲げているでしょう。そして、5年、10年後の将来の姿、ビジョンを語り、それに基づいて年度ごとに具体的な取り組みの方向性を指し示します。
ここで一つ確認しておかなければいけません。この内容は、あくまでも「社長の勝手な理想」であるということです。
例えば、社長がこの地域のためにこの会社を成長させたい、と掲げているとしましょう。
これが経営理念やビジョンになるわけですが、実はこれは、社員には全く関係のない社長の勝手な理想なんです。
社員のみなさんは、この会社が地域のためになるということは必要だということは理解しますが、それより納期が近い製品を急いで生産しなければいけません。5年も10年も先のどうなるかわからない話をされても、それで家のローンが返せるわけではないのです。
社員は、社長の理念に共感して入社したわけではありません。
しかし、社長が理念を掲げなければ、何を考えているかわからない社長のもとで働きたいと思うような人がいるでしょうか。
そしてもうひとつ重要なことがあります。
それは、中小企業の社長は、誰からも選ばれていないのです。
創業社長は、自分がやりたくて始めた事業です。そして後を継ぐ多くが、そのご子息であり、社員から反対されることはほとんどありません。
選ばれる機会があるとすれば、採用面接の時に、「この社長の下で働いてもいい」と判断する時、あるいは在職中に、「この会社では働き続けられない」と感じて退職していく時です。したがって、選ばれて社長になるというよりは、すでに社長になっている人を評価するということでしょうか。評価が悪くても他の社長を選べるわけではありません。
つまり、社長の理念は、社長の個人的な自己実現の表現であって、社員にとっては会社を選ぶ判断基準にはなるかもしれませんが、社員個人が目指すものとはやはり言い難いものなのです。
社員も社長も幸せになれるのか?
冒頭の会社では、社長が発信した取り組みは完結しませんでした。そして、理念を掲げてはいるものの、社長から見れば誰一人としてそれを目指しているようには見えません。今のやり方では、たとえ取り組みが進んだとしても、社長自身が自分で掲げて自分でやっただけ、参加した社員がいたとしても言われて仕方なくやっている。
社長もこんなことは薄々感じてはいたことですが、しかし他に取り組みを実現する方法が思いつきません。
これを解決するために、評価制度を設けたり、給与に反映させたりする取り組みを行ったこともあります。評価され、給与が上がることが当然良いと思われますが、一方で、評価はされても業績連動となっていれば、給与に反映されるかどうか、社員は疑いの目で見てしまうのは避けられません。小手先の手法では行動を促すことは困難なのです。
社長は理念を掲げ、ビジョンを提示し、目標値を設定して取り組もうとします。それが、社員の目の前にニンジンをぶら下げたような押し付けや強制になっていては絶対に目標を達成することはできません。一時的に達成できたとしても、社長が思うビジョンや理念とは程遠いものとなるでしょう。そして何より、この社長が旗を振れば降るほど、社員は疲弊して行き、この会社でなければいけない理由が失われていくのです。
今こそ、理念の本来の役割を考える必要があります。
理念とは、社員に共感や目標値への協力を求めるためのものではありません。言い換えれば、「このように考えろ」というのは違うのです。
社員の働く目的への会社からの協力や支援、この会社でなければならないと思ってもらえるような企業努力を、会社側がしなければならないのです。
その体制がなければ、社員が自ら目標を目指そうとすることはないでしょう。

